Kabylake+Z270搭載ボードでUbuntuを立ち上げるとイーサネットが繋がらない

こんにちはロードローラーです。タイトルに記載した通り、開発用にGPU搭載マシンを購入したのですが、OSインストールを終えた時点でネット接続できないという問題がありました。どうやらイーサネット(NIC)が認識されていない様子。

試行錯誤の末に解決しましたが、非常に疲れた。。。。同じトラップによる被害者を減らすべくここに記します。


Intel公式サイトからドライバ(Linux用)をインストール

ドライバ
https://downloadcenter.intel.com/ja/download/15817/-PCI-E-Linux-

インストールされていることは以下コマンドから確認できます

 

しかし、ドライバインストールしたにもかかわらず繋がらない。のコマンドで確認したところドライバは入っているのに、、、なぜ??


問題はサムチェック

アレコレと試行錯誤を繰り返した結果、サムチェックが問題と分かりました。

まずダウンロードしたファイルから「nvm.c」を開きます。

次にサムチェック関数(e1000e_validate_nvm_checksum_generic)が動作しないように中身を空にします。似たような名前の関数がたくさんあるので注意してください。

 

編集が完了したらファイルを閉じて以下コマンドを実行。

これでイーサネット認識して無事にネット接続できました。

ラグビー日本代表ヘッドコーチ エディー・ジョーンズとの対話

こんばんはロードローラーです。今回は“ラグビー日本代表ヘッドコーチ エディー・ジョーンズとの対話 コーチングとは「信じること」”という本を紹介します。


コーチングとは

2015年ラグビーワールドカップで南アフリカに勝利して「史上最大のアップセット」を称されたラグビー日本代表。本書はそのヘッドコーチであるエディージョーンズ氏との対談を1冊にまとめたものです。

タイトルには「コーチングとは信じること」とありますが、書内ではむしろ「コーチングとはアートである」という表現が一貫して使われており、コーチの役割について語られています。

この本の良いところは、対談の書き起こし形式が中心なので変にフィルターのかかっていないエディー氏のストレートな言葉に触れられる点です。(といっても日本語訳されている時点でフィルターはかかっていますが)。エディー氏は有名なほどの辛口でして、その言葉はかなりグサッときます。


話が長い人は要注意

私のお気に入りは下記発言

能力のないコーチはオプションを提示しすぎるんです。選手に決断を促すのではなく迷わせてしまう。混乱している選手は傍からは懸命にプレーしていないように見えてしまうものです。それでまたコーチに怒られる。

でも、アスリートはプレーするにあたって100%全力を尽くすものです。それが100%に見えないときはふたつの理由しかありません。フィジカル面で疲労が起きているか、メンタル面で混乱しているかのどちらかです。

スポーツでも仕事でも、集団で何かをするときに私は必ずこのシーンに遭遇します。

思いつくまま話をだらだら続ける人、指摘を延々と続ける人、選択肢を提示するだけで満足感に浸る人、無責任に「せっかく道筋を示してやったのに」と後から嘆く人、要点を絞らず全部しゃべって「だから言ったのに…」と自分に保険を掛ける人。

相手を迷わせた挙句、そんな自分の失敗を相手のせいにすると、指導者としては二流ですね。

ちょっと油断すると自分がそうなってしまいかねない、という自戒を込めて、この文章を取り上げさせていただきました。

今日はここまで

 

負けたというのになぜ君は死ぬ寸前まで悔しがってないのかな?

どうも、ロードローラーです。「どうも」という言葉は非常に不思議なもので、挨拶シーンにも御礼シーンにも用いられますね。実際にそのような意図がある言葉ではないので「どうも」という言葉はなるべく使うなと教育する人もいるとか。

さてさて、今回は普段の意識高い系とはうってかわって雑記です。たまにはこんな話題もよいかと。

「負けたというのになぜ君は死ぬ寸前まで悔しがってないのかな?」

このセリフ、知ってますか?

これは少年ジャンプで連載されていた「暗殺教室」に登場する浅野學峯のセリフです。別に私自身、暗殺教室という作品の大ファンというわけではありませんが、このセリフは強烈に印象に残っています。このセリフの前後で浅野理事長が伝えていることは、

  • 「もしも次も負けたら・・・」、再び負ける恐怖との戦い、敗北から学ぶとはそういう事だ
  • だが、多くの者は口先だけで大して学ばず敗北を忘れる

過激な表現に感じる人もいるかもしれませんが、私はすごく賛同なんですよね。昔から勝負事(主にスポーツ)をずっとやってきた人間なので「勝ち」「負け」という言葉に敏感なのかもしれません。

アメリカなどではスポーツでもなんでも勝負事は勝者にスポットを当てます。しかし、日本は反対で敗者にスポットを当てる習慣があります。もちろん、負けたことが今までの努力を全否定することはできないと理解していますが、「この悔しさを活かして次回こそは」という言葉を使うときは、相応の重みが必要なのだろうなと考えてしまいます。

以上、ただの雑記でした